てっきり彼女が、彼の両親ともども怪しい彼氏との関係を終わらせる話だと思ってたんです。
しかし。
終わらせたいのは恋愛関係ではなく、自分の人生だったというオチ。
映画のエンディングも、いくらでも解釈できる映像を残し幕を閉じますが、
temita的には完全にバッドエンディングです。
あまりにも内容が意味不明で、皆さんの解説や考察ブログを読んだ後、原作小説まで読んだ上でこの結論になりました。
皆さんの解説や原作小説がないと、この映画は今季最難関映画のまま年明けを迎えるところでした!
危ない、危ない…
今年一番の呼び声が高い、Netflix映画『もう終わりにしよう。』を紐解いてゆきましょう。
あらすじ
出会ってまだ6週間のルーシー(ジェシー・バックリー)とジェイク(ジェシー・プレモンス)。
2人はジェイクの両親に挨拶をかねディナーをともにするために、雪が吹雪く高速を急いでいた。
しかしその道中ルーシーの頭のなかは、ジェイクとの別れを何度となく決意していた。
やっとジェイクの家に到着するも、事前にディナーを知らされているはずのご両親はなかなか出迎えに現れない。
翌日の早朝に仕事が控えているルーシーは、なんどもそのことをジェイクに伝えご両親の出迎えを急がせるもまったく動いてくれる気配はない。
やっとこさ挨拶やディナーがはじまるも、ルーシーはジェイクの両親に奇妙な印象を抱き、居心地が悪くなってくるが…
ネタバレ結論 ルーシーとジェイクは用務員のおじさん
この映画を難しくしているのは、
- ルーシー・ジェイクカップルと用務員さんの関係
- 場面場面で名前が変わるルーシー
- いきなりやってくるミュージカル
- ジェイクのノーベル賞スピーチ
と考えました。
この『もう終わりにしよう。』は、はじめはルーシーの視点で物語がはじまります。
しかし、時折白髪の用務員さんを中心に描くシーンがいくつか挟まれ始めます。
見始めた当初はルーシーが主人公だと思い鑑賞するのですが、途中より「なぜ2人の関係にこの用務員が必要なのだろう」とうっすらと考えるようになります。
しかし結論からいうと、主人公はルーシーではなく用務員さんです。
では、ルーシーとジェイクは何者か?
実はルーシーは用務員さんの妄想の中恋人。
ジェイクは妄想の中の理想的な自分です。
厳密に言うと、劇中でルーシーがジェイク宅に自身の幼少期の写真(写っているのは、あきらかにルーシー)をみつけ
「なぜ私の写真が?」と問うと、ジェイクは「これは僕だよ」と返答しているので
ルーシー = ジェイクであることがわかります。
他にもジェイク宅の地下室より、ルーシーが描いたはずの絵画がジェイクの作品として保管されていたことも、2人が同一人物であることを示しています。
ではなぜ、ジェイク(=ルーシー)と用務員さんが同一人物なのかというと
ジェイク実家の洗濯機から、用務員さんのユニフォームが出てきたから。
そしてルーシーが、ジェイクに地下室のことを質問したときに、「彼がいるんだ」とジェイクが頑なに入室を拒んだこともあげられます。
何度となく名前が変わるルーシー
いやほんと、名前が何度となく変わります。
イボンヌ、エームズ、ルーシー…
そして職業も画家、物理学者、ウェイトレスと、ころころ変わります。
一体彼女は何者なんだ?と頭がグルグルかき回されるのですが…
結局ルーシーもジェイクであるということは、やはり用務員さんが作り出した人物。
出会いも、ルーシーからジェイクへ声を掛けてきてくれたり、ジェイクのことを母親に「かわいい」と表現したり。
ジェイクが「こういう感じの人と、こういう出会いで愛される」という妄想パターンを繰り返していた(理想としていた)んでしょうね…
何度もルーシーが2階から階段を降りるシーンがあったり、シェイクがゴミ箱を埋めるほど大量に捨てられていたあたりから、何度もいろんなルーシーとデートしたんだなと推測できます…
いきなり差し込まれるミュージカル
映画が終わりに近づくにつれ、いきなりミュージカルが差し込ます。
で、これが皆さんの解説によると、ミュージカル「オクラホマ!」。
『オクラホマ!』は、宝塚歌劇で何度か翻訳上演されてはいるが、日本ではそれほど馴染みのある作品ではないと思う。が、母国アメリカでは、少なくとも、ある世代以上には非常によく知られている
-ミュージカル史上1、2を争う問題作!裏返しにされた名作『オクラホマ!』!https://precious.jp/articles/-/10906
だそうです。
あらすじを読みましたが、内容は劇中のミュージカル部分とリンクするところが多いです。
「オクラホマ!」は三角関係から、村の嫌われ者が誤って刺殺されるも、自己防衛により刺したほうは無罪になり、残った2人が結ばれるという話です。
(かなりざっくりなあらすじw)
『もう終わりにしよう。』では、用務員さん(村の嫌われ者)がジェイク(村のイケメン)を刺して、ルーシー(美女)を奪っていますね。
このシーンで、用務員さんはついに妄想の象徴・ジェイクを終わりにすることを答えとして選んだと考えました。
ジェイクのノーベル賞スピーチ
そしてこれ。
またまたいきなり差し込まれる、ジェイクのノーベル賞スピーチw
これまた皆さんの解説によりますと、映画『ビューティフル・マインド』の最後のスピーチなのだそう。
この映画はジェイクの部屋にDVDがあったことから、用務員さんがかつて鑑賞しており、
『ビューティフル・マインド』の主人公ジョン・ナッシュと自分を重ねていることが分かります。
誰もが憧れる大舞台で、自身の実績と感動的なスピーチにより称賛を浴びる自分。
そうなりたかったが、実現できなかった自分。
そしてスピーチ後の『Lonely Room』(オクラホマ!より)の熱唱。
「彼女を自分のものにしよう」と歌い上げるあたり、こちらは仕事とともに愛を手に入れたいと懇願したんでしょう…
エンディングをどう考えたか
私は完全にバッドエンディング(死亡している)と考えます。
そしてジェイクが死んだとしても、世界は何一つ変わらず明るいいつもの朝を迎えたととらえました。
なぜなら、道中の車内の会話でも「死」について直接的な表現のオンパレード!
ジェイク宅の家畜小屋での、豚の安楽死はかなり分かりやすい表現です。
しかも校舎を全裸で歩く用務員さんを先導するのが「安楽死させた豚」。
最後のシーンに、雪が積もった用務員さんの車がポツンと残されていました。
ということは帰宅していない、校内に全裸のままとどまり続け居ているので、やはり亡くなっていると考えます。
なぜ I think… ではないのか? 英語的な感覚
オリジナルタイトルは”I’m thinking of ending things.”です。
鑑賞する前にふと、「なんで進行形なのか」と頭をよぎりました。
動詞の原形は、いわゆる「現在形」です。
現在形は今の状態を表すとともに、実は未来もずーーっと同じことが継続されることを表しています。
なので授業でよく、「太陽が西から昇ることは、未来永劫変わらないから絶対現在形で書くんだぞ」と習いましたよね?
それです。
進行形は、今やっている状態を表すとともに、実は「今やってはいるけれど、もう少しでその動きや止めるよ。動きは一時的だよ(必ずその動作の終わりはやってくる)」というニュアンスを表現します。
で、話をタイトルに戻すと。
わざわざ”I’m thinking〜”と書いているということは、
「別れることを今考えているけど、もう少しで考えるのを止めるんだ」
すなわち、もう別れを考えることはこの先なくなるというこです。
だって死んじゃうから、もう自死について考える必要はありませんから。
(これが現在形”I think〜”だったら、この先もずーーっと考え続けるという表現になる)
もちろん躍動感みたいなものを含めたネーミングだと思いますが、
temita的にはこの進行形チョイスも、死亡したと考える一つです。
なにより翻訳タイトルの『もう終わりにしよう。』のチョイスが秀逸です!!
最高!!
ということで。
今年一番の傑作と呼び声が高い『もう終わりにしよう。』ですが、
昨今まれにみる超難解映画でした。
タイトルの本当の意味が分かった時は、久々に背筋がゾーっとしました。
あまりにも皆さんの解説や考察が面白かったので、原作小説買っちゃいましたw
(どうやら原作のほうが、真相が分かりやすく描かれているようです…期待)
また読み終わったらレビューしたり、この記事をパワーアップさせようと思います!
ではでは!
↓原作小説で読みました。すべての謎は解けるのか!?やっぱり妄想なのか!?
↓待望の『ホーンティング』シリーズの2作目!全話書き起こしです!
https://temitakms.com/blymanorall/?=1367